Jiu3zhou1 Yu3 ji4, bai3jun4 Qin2 bing4.
第72行「晉楚更霸,趙魏困横」以来、春秋戦国時代の群雄割拠を描いていますが、ここに至り、紀元前221年、秦の始皇帝による中国統一を記します。
「九」は、『新華字典』の第1義。
「州」は第1義「旧时的一种行政区划」です。
「禹」は固有名詞ですが、『新華字典』でも1義のみで、「传说中的古代部落联盟首领,曾治平洪水」とあります。
「跡」は1義のみで「脚印」です。
「百」は第1義。
「郡」は1義のみで「古代行政区域,秦以前比县小,从秦朝起比县大」とあります。
「秦」は第1義が戦国時代の秦、第2義が統一後の秦と分けてありますので、後者です。
「并」は「一 bing4」(中古音の去声)、「二 bing1」(中古音の平声)と読み分けます。意味的に言えば、前者の第1義「合在一起」です。しかしながら、この前後、ずっと平声の「庚」韻・「青」韻・「清」韻で押韻しており、また平声の「并」も「清」韻に属しています。そう考えると、必ずやこの音で読んでいたはずですので、ここでは読みだけは、平声の読みを採っておきます。
前句「九州禹跡」は、『尚書』禹貢篇に見える、禹が治水した「九州」のことを指します。
後句「百郡秦并」は、始皇帝の統一のことを言っているに違いないのですが、ただ、秦の郡の数は三十六でした。『史記』秦本紀に「秦王政立二十六年,初并天下為三十六郡,號為始皇帝」とあります。『漢書』地理志下に平帝の時期の統計として、「凡郡國一百三,縣邑千三百一十四,道三十二,侯國二百四十一」とありますので、前漢末の感覚で言ったものかも知れません。